OSHO

実存全体はドラマのようなもの

この実存全体はドラマのようなものだ。そのドラマを演じなさい。そして、それに影響を受けないようにすることだ。ドラマの中にいて、遠く離れて超然としていなさい。しかし、そのドラマの中にいてはいけない。自分をただ目撃者、観客として考えなさい。それが...
OSHO

自分の生涯が手からすべり落ちていった

あなたはあらゆる準備をするが、完全に忘れている------明日の準備をするとき、そうした準備をしながら、今日という日を犠牲にしていることを。そして明日になると、再び翌日の準備を調え、またしてもその日を犠牲にしてしまう。毎日のように翌日の準備...
プラユキ・ナラテボー

イメージを描く数秒前には「傷」も痛みも苦しみもなかった

たとえば、私たちも「傷ついた!」などと、言ったり耳にしたりする。ちょっと冷静になって振り返ってみれば、そのイメージを描く数秒前には「傷」も痛みも苦しみもなかったはずだ。よく見てみれば「傷」というものはこの現実的な空間にはどこにもついてない。...
地橋秀雄

事実に気づいていくと心から妄想が除外される

苦しみをなくす瞑想の一番のポイントは、「事実に気づくこと」なのです。では、なぜそれで苦しみがなくなるのでしょうか。それは、一瞬一瞬「事実に気づいていく」と、心から妄想が除外されるからなのです。仏教では、人生が苦しくなるのは、思い込みや先入観...
プラユキ・ナラテボー

やはり型も必要

本当は型にこだわらずに、いつでもどこでもという感じで、瞑想モードを生活のそこかしこに落とし込むことは可能なのですが、やはり私たちはこれまでに何度となく繰り返してきた覚醒なしの言動や生活習慣がしっかりと身についていますから、型を抜きにして、い...
カンポン・トーンブンヌム

気づきのある人は、幸せである

「私は障害を持っていて苦しい」「私はきれいじゃないから苦しい」「私は太っていて苦しい」「私はもう年をとってしまった」。そんなふうに思って、自分を苦しめています。そのような思考が起こらなければ、苦しむことはありません。「今、ここ」に自分を取り...
OSHO

束縛などなかった

真に解放されるとき-------すべての正当さから、すべての誤りから解放され、すべての良きこと、すべての悪しきことから解放されるそのとき、あなたは束縛から解放されるだけでなく、解放それ自体から解放される。そのとき突然、あなたは笑い出す。何と...
地橋秀雄

法としての現象を一瞬一瞬サティの対象として気づいていく

現象の意味づけや価値判断は、人の心がかってにやるものです。「貴賤凡聖一如(きせんぼんせいいちにょ)」と言いますが、よい・悪い、尊い・賤しい、優れている・劣っている、と心の中身しだいでさまざまな意味づけがなされ、喜怒哀楽の世界が現れてきます。...
カンポン・トーンブンヌム

気にせず続けていく

瞑想の修行というのは、やればやった分だけ、その成果は実際すでに得られているのです。ただ、それは心に刻まれているものなので目には見えません。仕事のように成果が目に見える形ではっきりと現れてはこないのです。ですから、たとえ今わからなくても大丈夫...
ジャドソン・ブルワー

瞑想熟練者の脳で活動が低下している領域

私たちはデータを分析しながら、瞑想の熟練者の脳には何かしらの活動の増加が見られるものと予想していた。彼らは瞑想中、結局のところ何かをしているからだ。瞑想は休憩ではない。それとは掛け離れたものだ-----私たちはそう考えていた。ところが、彼ら...