OSHO

彼には選択はない。好きも嫌いもない。

好きも、嫌いも自我(エゴ)故にある。そしてエゴはひどく苦しむ。エゴがなければ、それは好き嫌いの問題ではない。人は、この世をそよ風のように動く。北へ行こうなどとは思わない、どんな好きも嫌いもない、どこであれ、自然が連れて行く所へ行く。手離しだ...
箕輪顕量

心の働きがあるのだな、ということ

呼吸の観察であれば、息に注意を振り向けます。息が入ってくるときには、何か風のような感覚があって、それに対して「入っている」という心の働きが存在しているのだな、ということがわかります。同じように、息が出ていくときにも、出ていく風のようなものが...
OSHO

自我(エゴ)は決して自分に寛げない

人は、自分の自我(エゴ)に応じて、好きだったり、嫌いだったりする。エゴがなければ、どこに、好きだの嫌いだのがあるだろう。そんなものはただ消えてしまう。自分自身に寛(くつろ)いでいれば、好きだの嫌いだの、常に選択肢を創り出す分割思考(マインド...
藤田一照

頭の中に作った物語を繰り返し生きることになってしまいます

一般的に能力といえば、何かを成し遂げるための能動的能力、いわば「ポジティブ・ケイパビリティ」ばかりが評価されます。そういう風潮の中では、「問題」を少しでも早く解決しようと焦ってドゥーイング・モードを起動させることが当たり前になってしまいます...
ラリー・ローゼンバーグ

気を配ること

あること---それが何であっても---に気を配っていることは寛大さの実践になります。気を配ることによって、あなたはそれが自分の世界に入ってくることを許しているのであり、そのことによってあなたはそれに命を吹き込んでいるのです。しかし最大の受益...
カンポン・トーンブンヌム

どんな思考であれ、それは心を濁すもの

私は、体の動きを通して気づきを高め続けました。けれども、まだ思考が気づきと一緒にまとわりつき、波のように何度も絶え間なく打ち寄せては心を乱してくるのです。そのような思考の正体は、分析好きな思考として現れました。実際、動きを伴った体は具体的な...
地橋秀雄

事実に気づいていくと心から妄想が除外される

苦しみをなくす瞑想の一番のポイントは、「事実に気づくこと」なのです。では、なぜそれで苦しみがなくなるのでしょうか。それは、一瞬一瞬「事実に気づいていく」と、心から妄想が除外されるからなのです。仏教では、人生が苦しくなるのは、思い込みや先入観...
その他の著者

ここにはほんとうは誰もいない

正面を向いているとき、身体の部分はほとんど見えません。頭の中にイメージ、自己イメージがあります。そのイメージには身体イメージも含まれていて、それによって自分がどこにいるかをとらえます。もしその頭の中のイメージが消えたら、ここにはほんとうは誰...
プラユキ・ナラテボー

イメージを描く数秒前には「傷」も痛みも苦しみもなかった

たとえば、私たちも「傷ついた!」などと、言ったり耳にしたりする。ちょっと冷静になって振り返ってみれば、そのイメージを描く数秒前には「傷」も痛みも苦しみもなかったはずだ。よく見てみれば「傷」というものはこの現実的な空間にはどこにもついてない。...
J.クリシュナムルティ

思考や感情のすべてになんら選ぶことなく気づき

瞑想は目的にいたるための手段ではありません瞑想にはどんな目的もなく、どんな到達点もありません瞑想は時間の中にあってもおこり、時間の外にあってもおこります瞑想の方式や方法というのは、どんなものでも思考を時間に縛りつけてしまいますそうではなく、...
ティク・ナット・ハン

自分の中の否定的な種

自らの妬みや非難や恐怖を認識した時点で、人はすでに受け入れへの確かな一歩を踏み出しています。ありのままの自分を受け入れてしまえば、もう自分を変えるために格闘する必要はなくなります。自分が自分に対して必要以上に厳しくなっていることを認識し、自...
OSHO

二度目の幼年時代を達成した人

あなたが子供なら、何もかもとても強烈になる。思い出してごらん。自分が浜辺を走っていたときの、貝殻を集めていたときのことを。あるいは庭で蝶々を追い回していたときのことを。もう一度思い出してごらん。いかに物事が完全に違っていたか、いかに人生がよ...