OSHO 主体と客体を見ている観照者 瞑想の本質的な核心、その真髄は、いかに観照するかを学ぶことにある。カラスが鳴く・・・あなたは聴いている。ここに二つのもの、主体と客体がある。だが、そこに両者を見ている観照者が見えないだろうか。カラス、聴く者、なおかつその両者を見守る誰かがい... 2024.12.07 OSHO
J.クリシュナムルティ 思考や感情のすべてになんら選ぶことなく気づき 瞑想は目的にいたるための手段ではありません瞑想にはどんな目的もなく、どんな到達点もありません瞑想は時間の中にあってもおこり、時間の外にあってもおこります瞑想の方式や方法というのは、どんなものでも思考を時間に縛りつけてしまいますそうではなく、... 2024.11.17 J.クリシュナムルティ
プラユキ・ナラテボー やはり型も必要 本当は型にこだわらずに、いつでもどこでもという感じで、瞑想モードを生活のそこかしこに落とし込むことは可能なのですが、やはり私たちはこれまでに何度となく繰り返してきた覚醒なしの言動や生活習慣がしっかりと身についていますから、型を抜きにして、い... 2024.12.11 プラユキ・ナラテボー
箕輪顕量 馴染になった心の反応から脱却していく 私たちの心には、幼少期からの体験によって馴染になった反応が身についてしまっています。何かを認識すれば、心の反応が次から次へと起きることが常です。実際に、いま私たちが心の刺激を受けたときに、それを受け止めていることに気づく練習、すなわち観の練... 2024.12.09 箕輪顕量
ティク・ナット・ハン 自分の中の否定的な種 自らの妬みや非難や恐怖を認識した時点で、人はすでに受け入れへの確かな一歩を踏み出しています。ありのままの自分を受け入れてしまえば、もう自分を変えるために格闘する必要はなくなります。自分が自分に対して必要以上に厳しくなっていることを認識し、自... 2024.12.10 ティク・ナット・ハン
カンポン・トーンブンヌム 体と心の状態は、ただ単に、自然に起こっては消えていく 何度も何度も体と心の状態に気づくという作業を続けていると、気づきの力が増し、体と心のさまざまな状態を上から見守っている意識になってきます。つまり、ただありのままに観ることができるようになり、どんな心の状態が生じてもそれを問題としなくなってき... 2024.12.07 カンポン・トーンブンヌム
OSHO 自分の生涯が手からすべり落ちていった あなたはあらゆる準備をするが、完全に忘れている------明日の準備をするとき、そうした準備をしながら、今日という日を犠牲にしていることを。そして明日になると、再び翌日の準備を調え、またしてもその日を犠牲にしてしまう。毎日のように翌日の準備... 2025.01.19 OSHO
OSHO 束縛などなかった 真に解放されるとき-------すべての正当さから、すべての誤りから解放され、すべての良きこと、すべての悪しきことから解放されるそのとき、あなたは束縛から解放されるだけでなく、解放それ自体から解放される。そのとき突然、あなたは笑い出す。何と... 2025.01.19 OSHO
ラリー・ローゼンバーグ 失敗したという感じを抱かずに戻ってくること 実際には、呼吸と共にあること、心がさ迷い出してしまうこと、さ迷ったことを知ること、穏やかに戻ってくること、そのすべてのプロセスが瞑想なのです。戻ってくるときに、自分を責めたり、裁いたり、失敗したという感じを抱かずに戻ってくることがとても大事... 2025.01.06 ラリー・ローゼンバーグ
カンポン・トーンブンヌム どんな思考であれ、それは心を濁すもの 私は、体の動きを通して気づきを高め続けました。けれども、まだ思考が気づきと一緒にまとわりつき、波のように何度も絶え間なく打ち寄せては心を乱してくるのです。そのような思考の正体は、分析好きな思考として現れました。実際、動きを伴った体は具体的な... 2024.12.06 カンポン・トーンブンヌム