OSHO

あなたが好きなのは受け身のスクリーン

もしある人が、あなたにあなたの自我(エゴ)を強化することを許してくれたら、その人が好きになるのだ。その人がスクリーンになって、自分が夢を見るのを助けてくれれば、あなたは、その人が好きになる。自分の見ている夢と合えば、その人が好きになるのだ。...
OSHO

彼には選択はない。好きも嫌いもない。

好きも、嫌いも自我(エゴ)故にある。そしてエゴはひどく苦しむ。エゴがなければ、それは好き嫌いの問題ではない。人は、この世をそよ風のように動く。北へ行こうなどとは思わない、どんな好きも嫌いもない、どこであれ、自然が連れて行く所へ行く。手離しだ...
OSHO

束縛などなかった

真に解放されるとき-------すべての正当さから、すべての誤りから解放され、すべての良きこと、すべての悪しきことから解放されるそのとき、あなたは束縛から解放されるだけでなく、解放それ自体から解放される。そのとき突然、あなたは笑い出す。何と...
地橋秀雄

法としての現象を一瞬一瞬サティの対象として気づいていく

現象の意味づけや価値判断は、人の心がかってにやるものです。「貴賤凡聖一如(きせんぼんせいいちにょ)」と言いますが、よい・悪い、尊い・賤しい、優れている・劣っている、と心の中身しだいでさまざまな意味づけがなされ、喜怒哀楽の世界が現れてきます。...
カンポン・トーンブンヌム

苦しみを観ることはすなわち法を観ること

私の身に起こった苦しみは、修行という道に私を導いてくれる通行許可証のようなものでした。もし、私に苦しみが何も起こらなかったら、仏道に関わろうとはしなかったでしょう。苦しみがなければ、仏道など必要とすることはなかったでしょう。この苦しみから早...
ジャドソン・ブルワー

ただそれと共にあること

私たちが状況(人生)をコントロールしようとするなら、望ましい結果を得るために懸命に何かをする必要がある。これに対し、リラックスして、対象とダンスをするような態度がとれれば、状況の展開に合わせて、ただそれと共にあることができる。そこには努力も...
OSHO

存在に生のすべてをゆだねる

人々は惨めだ何しろ、存在に抵抗する意志をずっと曲げないのだからこの瞬間から抵抗するのはやめることだリラックスして手放してみることだ存在に生のすべてをゆだねるがいいすると生は全面的に違った趣を持ち始め至福が呼吸のように自然にあるだろうすべては...
J.クリシュナムルティ

「何かになる」ことに伴う苦悶が止む

注意している状態は、どのようにしてもたらされるのでしょうか? そのような状態は説得や比較、褒美や罰などによって育成されるものではありません。こういったものは全て、一種の強制です。恐怖を除去することが注意の始まりです。何かでありたいとか、何か...
カンポン・トーンブンヌム

いのちの時間を無駄に過ごすことにもなり得る

必要である限り、対話もしました。ただし重要と思われないことは話しません。私たちはさまざまな話によって心を乱されることがあるからです。五感の心地よさにも耽らないようにしました。たとえば、姿形や音、におい、味、皮膚感覚、考えごとなどです。という...
アルボムッレ・スマナサーラ

人生は紙コップや割り箸のようなもの

人は生きているといろいろなものを背負い込みます。年齢を重ねるほど、背負う荷物は増えていきます。荷物が重くなってくると、自由に動けないし、心も柔らかさを失っていきます。しかしながら、人生は本来私たちが思っているほど大そうなものでも尊いものでも...
OSHO

瞑想とはまさに呼吸のようなもの

働くことであろうと、歩くことであろうと、坐ることであろうと、私はそれを瞑想と呼ぶ。私は他の人たちが瞑想と呼んでいることを信用しない。つまり十分か二十分それをして、次の二十四時間はいつものあなた自身でしかなく、やがてまた二十分の瞑想をする。こ...
OSHO

自我(エゴ)は決して自分に寛げない

人は、自分の自我(エゴ)に応じて、好きだったり、嫌いだったりする。エゴがなければ、どこに、好きだの嫌いだのがあるだろう。そんなものはただ消えてしまう。自分自身に寛(くつろ)いでいれば、好きだの嫌いだの、常に選択肢を創り出す分割思考(マインド...