OSHO

存在に生のすべてをゆだねる

人々は惨めだ何しろ、存在に抵抗する意志をずっと曲げないのだからこの瞬間から抵抗するのはやめることだリラックスして手放してみることだ存在に生のすべてをゆだねるがいいすると生は全面的に違った趣を持ち始め至福が呼吸のように自然にあるだろうすべては...
箕輪顕量

馴染になった心の反応から脱却していく

私たちの心には、幼少期からの体験によって馴染になった反応が身についてしまっています。何かを認識すれば、心の反応が次から次へと起きることが常です。実際に、いま私たちが心の刺激を受けたときに、それを受け止めていることに気づく練習、すなわち観の練...
地橋秀雄

法としての現象を一瞬一瞬サティの対象として気づいていく

現象の意味づけや価値判断は、人の心がかってにやるものです。「貴賤凡聖一如(きせんぼんせいいちにょ)」と言いますが、よい・悪い、尊い・賤しい、優れている・劣っている、と心の中身しだいでさまざまな意味づけがなされ、喜怒哀楽の世界が現れてきます。...
OSHO

実存全体はドラマのようなもの

この実存全体はドラマのようなものだ。そのドラマを演じなさい。そして、それに影響を受けないようにすることだ。ドラマの中にいて、遠く離れて超然としていなさい。しかし、そのドラマの中にいてはいけない。自分をただ目撃者、観客として考えなさい。それが...
箕輪顕量

心の働きがあるのだな、ということ

呼吸の観察であれば、息に注意を振り向けます。息が入ってくるときには、何か風のような感覚があって、それに対して「入っている」という心の働きが存在しているのだな、ということがわかります。同じように、息が出ていくときにも、出ていく風のようなものが...
地橋秀雄

起こるべくして起こる一切の現象を静かに受容

私たちはいつも心で現象をつかんでいて、執着したり文句を言ったり、好き嫌いで反応しては苦を発生させてしまいます。全部自分の思い通りに、気に入るようにしたい、という人は必ず他人とトラブルを起こすでしょう。また人生には、どうにもならない、不可抗力...
カンポン・トーンブンヌム

体と心の状態は、ただ単に、自然に起こっては消えていく

何度も何度も体と心の状態に気づくという作業を続けていると、気づきの力が増し、体と心のさまざまな状態を上から見守っている意識になってきます。つまり、ただありのままに観ることができるようになり、どんな心の状態が生じてもそれを問題としなくなってき...
カンポン・トーンブンヌム

いのちの時間を無駄に過ごすことにもなり得る

必要である限り、対話もしました。ただし重要と思われないことは話しません。私たちはさまざまな話によって心を乱されることがあるからです。五感の心地よさにも耽らないようにしました。たとえば、姿形や音、におい、味、皮膚感覚、考えごとなどです。という...
その他の著者

過去を手放す

個人としての物語を事実だと思うことが、しだいになくなっていきました。そのプロセスは1年ほどかかって完了したように思います。過去を手放すというのはじつに気持ちがよくて、すごく素晴らしい軽やかさを感じました。素晴らしいことなんです。人はいつも記...
OSHO

あなたが好きなのは受け身のスクリーン

もしある人が、あなたにあなたの自我(エゴ)を強化することを許してくれたら、その人が好きになるのだ。その人がスクリーンになって、自分が夢を見るのを助けてくれれば、あなたは、その人が好きになる。自分の見ている夢と合えば、その人が好きになるのだ。...
ジャドソン・ブルワー

瞑想熟練者の脳で活動が低下している領域

私たちはデータを分析しながら、瞑想の熟練者の脳には何かしらの活動の増加が見られるものと予想していた。彼らは瞑想中、結局のところ何かをしているからだ。瞑想は休憩ではない。それとは掛け離れたものだ-----私たちはそう考えていた。ところが、彼ら...
カンポン・トーンブンヌム

気にせず続けていく

瞑想の修行というのは、やればやった分だけ、その成果は実際すでに得られているのです。ただ、それは心に刻まれているものなので目には見えません。仕事のように成果が目に見える形ではっきりと現れてはこないのです。ですから、たとえ今わからなくても大丈夫...