瞑想は目的にいたるための手段ではありません
瞑想にはどんな目的もなく、どんな到達点もありません
瞑想は時間の中にあってもおこり、時間の外にあってもおこります
瞑想の方式や方法というのは、どんなものでも思考を時間に縛りつけてしまいます
そうではなく、思考や感情のすべてになんら選ぶことなく気づき、それらを動かす原因やその仕組を理解し、それらが花ひらくままにしておくことこそ、瞑想のはじまりです
思考と感情がよく育ち、そして死んでいくとき、瞑想は時間を超えた動きになります
この動きの中にはエクスタシーがあります
(J.クリシュナムルティ「瞑想」p53)