ティク・ナット・ハン

心は三つの毒に侵されがち

私たちの心は三つの毒に侵されがちです。最初は渇望、次に憎しみや暴力、そして最後に妄想です。心を清めるとは、自分の中にあるこれらの毒を中和し、解消してやることなのです。三つの知恵。気づき、専念、悟りのエネルギーによって、毒を中和してやるのです...
地橋秀雄

好き嫌いや快・不快に左右されなくなる

あるがままに気づく訓練を続けていくと、たとえ気に入らない不快な環境や人々の中にあっても、心はたいへん静かな状態で、あたかも気に入ったものばかりの中にいるのと同じ状態で生きられるようになっていきます。どんな環境でも満足できるようになるという、...
OSHO

主体と客体を見ている観照者

瞑想の本質的な核心、その真髄は、いかに観照するかを学ぶことにある。カラスが鳴く・・・あなたは聴いている。ここに二つのもの、主体と客体がある。だが、そこに両者を見ている観照者が見えないだろうか。カラス、聴く者、なおかつその両者を見守る誰かがい...
カンポン・トーンブンヌム

気づきのある人は、幸せである

「私は障害を持っていて苦しい」「私はきれいじゃないから苦しい」「私は太っていて苦しい」「私はもう年をとってしまった」。そんなふうに思って、自分を苦しめています。そのような思考が起こらなければ、苦しむことはありません。「今、ここ」に自分を取り...
OSHO

生きるための唯一の道

今を生きることだけが、生きるための唯一の道だ自分を後に引き戻す過去もなく先に押しやる未来もなく今を生きるとき自分のエネルギー全体が瞬間に凝縮されるとき人生は圧倒的な強さを持つ人生が情熱的な恋愛となる自らのエネルギーで燃え立ち、人は光で満たさ...
箕輪顕量

馴染になった心の反応から脱却していく

私たちの心には、幼少期からの体験によって馴染になった反応が身についてしまっています。何かを認識すれば、心の反応が次から次へと起きることが常です。実際に、いま私たちが心の刺激を受けたときに、それを受け止めていることに気づく練習、すなわち観の練...
プラユキ・ナラテボー

イメージを描く数秒前には「傷」も痛みも苦しみもなかった

たとえば、私たちも「傷ついた!」などと、言ったり耳にしたりする。ちょっと冷静になって振り返ってみれば、そのイメージを描く数秒前には「傷」も痛みも苦しみもなかったはずだ。よく見てみれば「傷」というものはこの現実的な空間にはどこにもついてない。...