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ここにはほんとうは誰もいない

正面を向いているとき、身体の部分はほとんど見えません。頭の中にイメージ、自己イメージがあります。そのイメージには身体イメージも含まれていて、それによって自分がどこにいるかをとらえます。もしその頭の中のイメージが消えたら、ここにはほんとうは誰...
プラユキ・ナラテボー

今の幸福の因となった過去の一切は幸福のための因

気づきと洞察が培われてくると、因果の矢の向きが変わる。どういうことかと言えば、心の動きや状態にハマり込まずに客観的対象として心に対応できるようになり、それによって現実次元での事実は動かせなくても、心の次元での編集が可能になってくるわけだ。気...
地橋秀雄

好き嫌いや快・不快に左右されなくなる

あるがままに気づく訓練を続けていくと、たとえ気に入らない不快な環境や人々の中にあっても、心はたいへん静かな状態で、あたかも気に入ったものばかりの中にいるのと同じ状態で生きられるようになっていきます。どんな環境でも満足できるようになるという、...
J.クリシュナムルティ

思考によってつくられていない空間には他者は存在しない

思考がそのまわりにつくりだす空間には愛がありません。そのような空間は人と人をへだてるものになります。その空間のなかでひとは何物かになろうとし、人生の闘いがおこり、苦しみや恐れがうまれます。瞑想とは、このような空間がなくなることです。"わたし...
OSHO

実存全体はドラマのようなもの

この実存全体はドラマのようなものだ。そのドラマを演じなさい。そして、それに影響を受けないようにすることだ。ドラマの中にいて、遠く離れて超然としていなさい。しかし、そのドラマの中にいてはいけない。自分をただ目撃者、観客として考えなさい。それが...
藤田一照

自然のままにしていたら、結局「そうじゃない」ということを言い続けている

自我意識というのは「ありのままなんて、私は許せない」というメンタリティですから、ありのままに対して必ず注文や文句、不平不満をぶつけて、それに介入し、干渉して、いじり、変えようとします。そうしないではいられないものが自我意識には付きまとってい...
箕輪顕量

私たちが悩み苦しみから逃れるための唯一の方法

私たちは感覚器官を通して世界を認識していますが、その認識がきっかけになって、次から次へと新しい心の動きを起こす、と初期仏教では捉えられました。次から次へと第二の矢が起きる、つまり心が働きを起こすことを、仏教では「戯論(けろん)」と言います。...