もしある人が、あなたにあなたの自我(エゴ)を強化することを許してくれたら、その人が好きになるのだ。
その人がスクリーンになって、自分が夢を見るのを助けてくれれば、あなたは、その人が好きになる。自分の見ている夢と合えば、その人が好きになるのだ。
もし、その人が自分の見ている夢と合わなかったら、自分が夢を見続けるのを許してくれなかったら、あなたは、その人が嫌いになる。
それどころか、むしろその人が邪魔をし、合わせず、スクリーンの役を引き受けてくれず、受動的でなく、能動的になったら、その人が嫌いになる。
あなたが好きなのは、何でも自分の好きな夢を見させてくれるような、そういう受け身のスクリーンなのだ。
(OSHO「信心銘」p298)