今の幸福の因となった過去の一切は幸福のための因

プラユキ・ナラテボー

気づきと洞察が培われてくると、因果の矢の向きが変わる。どういうことかと言えば、心の動きや状態にハマり込まずに客観的対象として心に対応できるようになり、それによって現実次元での事実は動かせなくても、心の次元での編集が可能になってくるわけだ。

気づきと智慧を通して紡がれれば、物語はおのずとクオリティーの高いものへと変容していく。まるでくず繭から紡ぎ織られる紬(つむぎ)のように。

そうして今をクオリティーの高い善き時、あるいは幸福へと変容し得たとき、カルマの法則に立ち返れば、「今は過去の集大成」であるわけだから、おのずと今の幸福の因となった過去の一切は幸福のための因となる。

そして「過去と今の集大成が未来である」わけだから、過去と今の幸福という因により、未来にも幸福という果が待ち受けるということになる。今とともに過去も未来も一瞬にして幸福色に染め上げられていくというわけなのだ。

(プラユキ・ナラテボー「「気づきの瞑想」を生きる」p239)