瞑想とは何か

ラリー・ローゼンバーグ

気を配ること

あること---それが何であっても---に気を配っていることは寛大さの実践になります。気を配ることによって、あなたはそれが自分の世界に入ってくることを許しているのであり、そのことによってあなたはそれに命を吹き込んでいるのです。しかし最大の受益...
ジャドソン・ブルワー

瞑想熟練者の脳で活動が低下している領域

私たちはデータを分析しながら、瞑想の熟練者の脳には何かしらの活動の増加が見られるものと予想していた。彼らは瞑想中、結局のところ何かをしているからだ。瞑想は休憩ではない。それとは掛け離れたものだ-----私たちはそう考えていた。ところが、彼ら...
OSHO

瞑想とはまさに呼吸のようなもの

働くことであろうと、歩くことであろうと、坐ることであろうと、私はそれを瞑想と呼ぶ。私は他の人たちが瞑想と呼んでいることを信用しない。つまり十分か二十分それをして、次の二十四時間はいつものあなた自身でしかなく、やがてまた二十分の瞑想をする。こ...
プラユキ・ナラテボー

行動パターンを「止」めて、あるがままの現象を「観」てみる

仏教の瞑想は一般的にサマタ(止)とヴィパッサナー(観)とに分けられて、サマタが心をひとつの対象に繰り返し向けて安定させ、集中力(定)を養っていくこと。一方、ヴィパッサナーは瞬間瞬間に心身に起こっていることに繰り返し気づいて覚醒力(念)を養い...
ティク・ナット・ハン

心は三つの毒に侵されがち

私たちの心は三つの毒に侵されがちです。最初は渇望、次に憎しみや暴力、そして最後に妄想です。心を清めるとは、自分の中にあるこれらの毒を中和し、解消してやることなのです。三つの知恵。気づき、専念、悟りのエネルギーによって、毒を中和してやるのです...
地橋秀雄

起こるべくして起こる一切の現象を静かに受容

私たちはいつも心で現象をつかんでいて、執着したり文句を言ったり、好き嫌いで反応しては苦を発生させてしまいます。全部自分の思い通りに、気に入るようにしたい、という人は必ず他人とトラブルを起こすでしょう。また人生には、どうにもならない、不可抗力...
箕輪顕量

私たちが悩み苦しみから逃れるための唯一の方法

私たちは感覚器官を通して世界を認識していますが、その認識がきっかけになって、次から次へと新しい心の動きを起こす、と初期仏教では捉えられました。次から次へと第二の矢が起きる、つまり心が働きを起こすことを、仏教では「戯論(けろん)」と言います。...
ジャドソン・ブルワー

ただそれと共にあること

私たちが状況(人生)をコントロールしようとするなら、望ましい結果を得るために懸命に何かをする必要がある。これに対し、リラックスして、対象とダンスをするような態度がとれれば、状況の展開に合わせて、ただそれと共にあることができる。そこには努力も...
OSHO

自分を取り巻く全存在との生きた関係

瞑想とは言葉なしで生きること、非言語的に生きることだ。ときにはそれが自然に起こる。愛の中にいて、言語ではなく、現存が感じられる。ゆたりの恋人が互いに親しくしているとき、いつも彼らは沈黙する。表現することが何もないわけではない。逆に、表現する...
J.クリシュナムルティ

思考や感情のすべてになんら選ぶことなく気づき

瞑想は目的にいたるための手段ではありません瞑想にはどんな目的もなく、どんな到達点もありません瞑想は時間の中にあってもおこり、時間の外にあってもおこります瞑想の方式や方法というのは、どんなものでも思考を時間に縛りつけてしまいますそうではなく、...