自分を取り巻く全存在との生きた関係

OSHO

瞑想とは言葉なしで生きること、非言語的に生きることだ。ときにはそれが自然に起こる。

愛の中にいて、言語ではなく、現存が感じられる。ゆたりの恋人が互いに親しくしているとき、いつも彼らは沈黙する。表現することが何もないわけではない。逆に、表現することは圧倒的なほどある。だが、そこに言葉はけっしてない。ありえない。言葉は愛が去ってからのみやってくる。

もしふたりの恋人はけっして沈黙しなければ、愛は死んだというしるしだ。今や彼らはその隙間を言葉で埋めている。愛が生きているときは、言葉はそこにない。愛の存在そのものがあまりにも圧倒的で、あまりにも浸透しているために、言語と言葉の障害が越えられているからだ。そして普通、それは愛の中でのみ越えられる。

瞑想は愛の絶頂だ。ひとりの人物だけへの愛ではなく、全存在への愛。私にとって、瞑想とは自分を取り巻く全存在との生きた関係だ。どんな状態でも愛の中にいることができたら、あなたは瞑想に入っている。

(OSHO「和尚タイムズ・インターナショナル日本版 vol.41」p3)