働くことであろうと、歩くことであろうと、坐ることであろうと、私はそれを瞑想と呼ぶ。
私は他の人たちが瞑想と呼んでいることを信用しない。つまり十分か二十分それをして、次の二十四時間はいつものあなた自身でしかなく、やがてまた二十分の瞑想をする。これはばかげている。
それはまるで、人にこう言っているようなもの。毎朝二十分ほど呼吸をして、それからそのことはみんな忘れなさい。あなたは他にもすることがたくさんあるのだから。それからあなたは翌日の朝に、また呼吸をしてもいいのだと。
私にとって瞑想とは、まさに呼吸のようなものだ。だからたとえあなたが何をしていようと、またどこにいようと、それをもっと意識して行ないなさい。
(OSHO「OSHOタイムズ vol.35」p17)