ありのまま

藤田一照

現在に何も足そうともせず引こうともしないこと

結果を得ようとする瞑想や苦行から、ありのままを受け入れる樹下の打坐へのシフトを、今ここの自分の身心で行うのが坐禅です。道元はそのことを「坐禅は習禅には非(あら)ず。唯(ただ)是(こ)れ安楽の法門なり」(『道元禅師語録』大久保道舟訳註 岩波文...
藤田一照

何かを求めているときには必ず緊張が生まれます

ブッダは法楽(欲望の満足による欲楽ではなく、法=真実が身心に浸透するときの悦び)に浸りながら坐り続けたといいます。樹下に打坐するブッダの顔には微笑みが浮かんでいたはずです。狂おしく求めていたときには得られず、かえって現在のありのままを受け入...
OSHO

彼には選択はない。好きも嫌いもない。

好きも、嫌いも自我(エゴ)故にある。そしてエゴはひどく苦しむ。エゴがなければ、それは好き嫌いの問題ではない。人は、この世をそよ風のように動く。北へ行こうなどとは思わない、どんな好きも嫌いもない、どこであれ、自然が連れて行く所へ行く。手離しだ...
プラユキ・ナラテボー

行動パターンを「止」めて、あるがままの現象を「観」てみる

仏教の瞑想は一般的にサマタ(止)とヴィパッサナー(観)とに分けられて、サマタが心をひとつの対象に繰り返し向けて安定させ、集中力(定)を養っていくこと。一方、ヴィパッサナーは瞬間瞬間に心身に起こっていることに繰り返し気づいて覚醒力(念)を養い...
ティク・ナット・ハン

自分の中の否定的な種

自らの妬みや非難や恐怖を認識した時点で、人はすでに受け入れへの確かな一歩を踏み出しています。ありのままの自分を受け入れてしまえば、もう自分を変えるために格闘する必要はなくなります。自分が自分に対して必要以上に厳しくなっていることを認識し、自...
藤田一照

自然のままにしていたら、結局「そうじゃない」ということを言い続けている

自我意識というのは「ありのままなんて、私は許せない」というメンタリティですから、ありのままに対して必ず注文や文句、不平不満をぶつけて、それに介入し、干渉して、いじり、変えようとします。そうしないではいられないものが自我意識には付きまとってい...