プラユキ・ナラテボー 行動パターンを「止」めて、あるがままの現象を「観」てみる 仏教の瞑想は一般的にサマタ(止)とヴィパッサナー(観)とに分けられて、サマタが心をひとつの対象に繰り返し向けて安定させ、集中力(定)を養っていくこと。一方、ヴィパッサナーは瞬間瞬間に心身に起こっていることに繰り返し気づいて覚醒力(念)を養い... 2024.12.11 プラユキ・ナラテボー
ティク・ナット・ハン 自分の中の否定的な種 自らの妬みや非難や恐怖を認識した時点で、人はすでに受け入れへの確かな一歩を踏み出しています。ありのままの自分を受け入れてしまえば、もう自分を変えるために格闘する必要はなくなります。自分が自分に対して必要以上に厳しくなっていることを認識し、自... 2024.12.10 ティク・ナット・ハン
藤田一照 何かを求めているときには必ず緊張が生まれます ブッダは法楽(欲望の満足による欲楽ではなく、法=真実が身心に浸透するときの悦び)に浸りながら坐り続けたといいます。樹下に打坐するブッダの顔には微笑みが浮かんでいたはずです。狂おしく求めていたときには得られず、かえって現在のありのままを受け入... 2025.01.12 藤田一照
藤田一照 自然のままにしていたら、結局「そうじゃない」ということを言い続けている 自我意識というのは「ありのままなんて、私は許せない」というメンタリティですから、ありのままに対して必ず注文や文句、不平不満をぶつけて、それに介入し、干渉して、いじり、変えようとします。そうしないではいられないものが自我意識には付きまとってい... 2024.11.16 藤田一照