体の動きに入り込み過ぎず、思考に入り込み過ぎない

カンポン・トーンブンヌム

最初は注意深く観察していましたので、思考はあまり起こりませんでした。しかし体を長いこと観察すると、私の観察のペースを超えて思考がすばやく湧き起こります。一瞬でもうっかりしていると、思考にはまってしまうのでした。

しかし、体に気づきがあるときには思考が消え、以前のように体に意識が戻ってきます。気づきが体と思考の主人になるのです。思考は、とにく体を少し移動させるだけでどこかに消え去り、そのときにすぐまた意識を体に戻すことができます。

このように、私は体をよどみなく熟練させるまで気づきを伴って観ることができるようになりました。気づきが中心になってきたのです。

ここに至ると、中道を歩むということ、すなわち二つの極端な側面に偏らないことがわかってきました。体の動きに入り込み過ぎず、思考(満足か不満か、幸か不幸かなど)に入り込み過ぎないことです。

今や私は見つけました! 苦から解放される中道の道を!

心を中道に保っていくこと。ただそれだけでした。そこは安全で、基本となる点。いのちの手綱、法の手綱はこの点にあったのです!

心のなかに拠り所を得たとき、気づきの功徳がはっきりと観えました。ただ努力を積み重ねていけば、気づきは必ずや苦から私たちを解放する乗り物になってくれるはずです。

(カンポン・トーンブンヌム「「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方」)