カンポン・トーンブンヌム 初めは雑念ばかり 初めは雑念ばかりで気づきはほとんどありませんでした。喜びの感情が生じるときもありましたし、自分の体験していることを教科書と比べて考え込んでしまうこともありました。ときには苦しみから逃れようともがいて、さらに苦しむこともありました。これらはす... 2024.12.06 カンポン・トーンブンヌム
カンポン・トーンブンヌム 気づきのある人は、幸せである 「私は障害を持っていて苦しい」「私はきれいじゃないから苦しい」「私は太っていて苦しい」「私はもう年をとってしまった」。そんなふうに思って、自分を苦しめています。そのような思考が起こらなければ、苦しむことはありません。「今、ここ」に自分を取り... 2024.12.06 カンポン・トーンブンヌム
箕輪顕量 心の働きがあるのだな、ということ 呼吸の観察であれば、息に注意を振り向けます。息が入ってくるときには、何か風のような感覚があって、それに対して「入っている」という心の働きが存在しているのだな、ということがわかります。同じように、息が出ていくときにも、出ていく風のようなものが... 2024.12.05 箕輪顕量
カンポン・トーンブンヌム 体の動きに入り込み過ぎず、思考に入り込み過ぎない 最初は注意深く観察していましたので、思考はあまり起こりませんでした。しかし体を長いこと観察すると、私の観察のペースを超えて思考がすばやく湧き起こります。一瞬でもうっかりしていると、思考にはまってしまうのでした。しかし、体に気づきがあるときに... 2024.12.07 カンポン・トーンブンヌム
カンポン・トーンブンヌム いのちの時間を無駄に過ごすことにもなり得る 必要である限り、対話もしました。ただし重要と思われないことは話しません。私たちはさまざまな話によって心を乱されることがあるからです。五感の心地よさにも耽らないようにしました。たとえば、姿形や音、におい、味、皮膚感覚、考えごとなどです。という... 2024.12.06 カンポン・トーンブンヌム
カンポン・トーンブンヌム 体と心の状態は、ただ単に、自然に起こっては消えていく 何度も何度も体と心の状態に気づくという作業を続けていると、気づきの力が増し、体と心のさまざまな状態を上から見守っている意識になってきます。つまり、ただありのままに観ることができるようになり、どんな心の状態が生じてもそれを問題としなくなってき... 2024.12.07 カンポン・トーンブンヌム
カンポン・トーンブンヌム どんな思考であれ、それは心を濁すもの 私は、体の動きを通して気づきを高め続けました。けれども、まだ思考が気づきと一緒にまとわりつき、波のように何度も絶え間なく打ち寄せては心を乱してくるのです。そのような思考の正体は、分析好きな思考として現れました。実際、動きを伴った体は具体的な... 2024.12.06 カンポン・トーンブンヌム