J.クリシュナムルティ

J.クリシュナムルティ

思考や感情のすべてになんら選ぶことなく気づき

瞑想は目的にいたるための手段ではありません瞑想にはどんな目的もなく、どんな到達点もありません瞑想は時間の中にあってもおこり、時間の外にあってもおこります瞑想の方式や方法というのは、どんなものでも思考を時間に縛りつけてしまいますそうではなく、...
J.クリシュナムルティ

「何かになる」ことに伴う苦悶が止む

注意している状態は、どのようにしてもたらされるのでしょうか? そのような状態は説得や比較、褒美や罰などによって育成されるものではありません。こういったものは全て、一種の強制です。恐怖を除去することが注意の始まりです。何かでありたいとか、何か...
J.クリシュナムルティ

思考によってつくられていない空間には他者は存在しない

思考がそのまわりにつくりだす空間には愛がありません。そのような空間は人と人をへだてるものになります。その空間のなかでひとは何物かになろうとし、人生の闘いがおこり、苦しみや恐れがうまれます。瞑想とは、このような空間がなくなることです。"わたし...
J.クリシュナムルティ

思考の開花がその終焉

一つの思考や感情を花開かせるためには、注意が必要です。集中ではなく。思考を花開かせるというのは、自分の考えや感情に何が生じているのか、何が起こりつつあるのかを見るために、それを自由にさせてやるという意味です。花開くものには全て、自由がなくて...
J.クリシュナムルティ

事実に気づいていればよい

信念は必要ありません。理想が必要でないのと同じように・・・それらはともに"あるがまま"の事実があきらかにされるのに必要なエネルギーをそらしてしまいます。信念は、理想と同じように事実から逃避することです。そのような逃避のなかで哀しみがなくなる...