初めは雑念ばかりで気づきはほとんどありませんでした。
喜びの感情が生じるときもありましたし、自分の体験していることを教科書と比べて考え込んでしまうこともありました。ときには苦しみから逃れようともがいて、さらに苦しむこともありました。
これらはすべて、「今・ここ」という瞬間から心を連れ去ろうとしました。それらの雑念は、瞑想の基本を忘れさせ、多くの時間を浪費させました。
これが私の瞑想実践における最初の状態でした。繰り返し、気を取り直しては最初からやり直すことが続きました。
(カンポン・トーンブンヌム「「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方」p89)