信念は必要ありません。理想が必要でないのと同じように・・・
それらはともに”あるがまま”の事実があきらかにされるのに必要なエネルギーをそらしてしまいます。
信念は、理想と同じように事実から逃避することです。そのような逃避のなかで哀しみがなくなることはありません。
事実を一瞬一瞬理解していくなかで哀しみはなくなってゆくのです。
そのような理解をあたえてくれる方式や方法など、ひとつもありません。
ただ、なにも選びとることなく、事実に気づいていればよいのです。
ある方式に則って瞑想をすることは、あなたのあるがままの事実を避けていることにほかなりません。
神を見いだそうとしたり、ヴィジョンをえようとしたり、感覚に酔いしれたり、そのほかの慰めのために瞑想するよりも、あなた自身を理解し、あなたの果てしなく変化していく事実を理解することのほうがはるかに重要です。
(J.クリシュナムルティ「瞑想」p70)